信州飯綱町 工務店社長のおもいつき日記

地域活性化工務店という業態を目指して奮闘中のツチクラ住建土倉が、ゆる〜く書いてます。

鼎一

“ていいち”と読みます。実は私の祖父の名前です。私が産まれる前に亡くなっていますが、命日が6月15日、私の誕生日が6月16日で、いつの頃からか自分は鼎一爺さんの生まれ変わりだと信じています。(根拠無くそう思い込んでるだけです)ただ、私は生きてる爺ちゃんを知らないので、たまに爺ちゃんを知ってる人に会うと何か楽しかったりします。


今日は地元信金の信用会という、まあお得意様の会ですな。その役員の新年会がありました。昨年急に理事にされたんですが、出て見てビックリ。40代は私一人。50代だって数えるほど。中心は60から70代。中には80過ぎの人もいるっていうすんごい会であります。そんな方々中心ですから、新年会も午後3時から。こんな明るい時間から呑んでいいのかいなって感じでしたが、そんな中で、いましたいました。鼎一爺さんを知ってる人。一緒に製材所で働いたなんて人が。そして五反田の現場まで一緒に行ったなんて証言も飛び出しました。亀戸でアパート経営をしていたという話は聞いていたのですが、今回の五反田の話は初耳でした。おいおい爺さんなかなか手広くやってたじゃないΣ(・ω・ノ)ノ!当時の東京進出はハードルの高さで言えば現在の中国進出ぐらいの感じでしょうか。それをおそらく40そこそこでやっていたんですよね。いやあ、自分もいっちょチャレンジしてやろうかってぐらいの気になります。なんてったって自分のルーツですから、同じDNAを持ってるはずですよね。そうは言っても中国進出はしませんがヾ(;´▽`A``


年配の方々の中で最初どうなることかと思いましたが、今日は有意義な時間を過ごすことができました。まだ明るいうちに会は終わり、二次会へのお誘いを振りきって帰って参りました。例年二次会三次会とエンドレスに続くんだそうです。今年はどうなりましたか…それにしても元気なジジイ達だ…うんσ(^_^;)